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こらむ・シネマ百景 第165回 “忘却と暴虐と”

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映画ライター 服部香穂里さんの『こらむ・シネマ百景』

 忘れられない、忘れたくない存在への未練や後悔が、チベットの山間の村で一見平穏に暮らしてきた夫婦やその周囲に、愛憎まじりの波紋を投げかけていく『巡礼の約束』。ある夢にうなされ泣きじゃくりながら目覚めた朝を機に、突然ラサへ巡礼の旅に出ることを決意する妻と、彼女の真意を量りかねながらも、その覚悟のただならぬ気配に引きずり込まれていく夫。“五体投地”なる気力も体力も格段に消耗する礼拝の方法を敢えて選択し、一歩一歩ゆっくり時間をかけて聖地を目指す妻の心を突き動かしているのが、そばで見守ることしかできない目の前の夫ではなく、嫉妬を燃やしたところで永遠に勝てっこなさそうな亡き者であるという残酷すぎる事実。現夫との再婚によって妻の生家に預けられ、恋しいはずの実母にも心を閉ざしてきた前夫との息子も道中半ばより参戦し、複雑な感情が入り乱れる中で、誰かが誰かを慈しむがゆえに湧き起こる祈りが、生と死の境界や血のつながりを超えて引き継がれていく。生き続けなければならない虚しさと、多くの故人の想いによって生かされているという畏敬の念をしみじみと噛みしめる、余韻深い逸品だ。

 父の死を知り久々に帰郷した男の、胸中を支配し続けるファム・ファタールの面影に導かれて彷徨う旅の道程を、中国の若き気鋭ビー・ガン監督がオーソドックスかつ大胆な手法で映し出す『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』。不意に聴こえてくる中島みゆきの《アザミ嬢のララバイ》が、極私的な記憶に囚われた男の孤独なひとり舞台にも見えかねない、スクリーンの向こう側との距離感をググッと縮め、本作の白眉でもある60分にも及ぶワンシークエンスショットへと流麗に誘われていく。その夢幻的な異空間では、現世では二度と逢うことの叶わぬひとや、再会もままならないひとたちが、変幻自在に振る舞っている。もはや、映画というよりはインスタレーションにも近い稀有な映像体験は、現実ではないと気づいていながらも目覚めず浸り続けていたい、妄想も過去も未来もごちゃ混ぜにコラージュされたかのような夢に遭遇してしまった際の、どうしようもない喜びと痛みを思い起こさせる。もう一度ふれ合いたい切なる願いが、ねじれた時空の果てに予期せぬ形で叶えられてしまう、究極のメロドラマである。

 かのヴィクトル・ユゴーの同名作でも知られるパリ郊外のモンフェルメイユを舞台に、ちいさな出来心を発端に、暴力が連鎖する数日間を並々ならぬ緊迫感で激写し、昨年のカンヌ国際映画祭で審査員賞に輝いた『レ・ミゼラブル』。移民や低所得者層が危険と隣り合わせで暮らす地域の治安維持を名目に、常に警官然と威圧的な態度で、時には住民たちの尊厳を踏みにじる暴挙さえ厭わぬ犯罪防止班。その一方で、潜在的な弱さが招いた身内の失態については、地元ギャングの協力まで仰ぎ、死にもの狂いで隠蔽を画策する。そんな両者の持ちつ持たれつの不健全な関係性による膿が、因果応報のごとき壮絶なクライマックスの中で一気に噴出する。シンプルな善悪二元論を排し、家族のしがらみなどに葛藤する人物それぞれの背景も描き込むことで、共感と反感がせわしなく反転する、心身ムチ打ち状態にされる群像劇が展開されていく。暗黙の了解で保たれてきたコミュニティ内の秩序やヒエラルキーさえ脆くも崩れ去るさまにはシニカルなユーモアすら漂い、息を呑む衝撃のエンディングが、自身の良心ですら信じきれなくなる殺伐とした社会に、多くの問いを突きつけてくる力篇だ。

(映画ライター 服部香穂里)

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